「ここに「本多勝一」はいない」 おすすめ度:
投稿日:2007-01-02
私自身も数年鍼灸治療に通い、「西洋医学」と「東洋医学」について考えをめぐらせていたところだった。
他の誰でもない「あの本多氏」が、なんと東洋医学について、本を出している。氏がそういうならば、よほどの根拠があってのことだろう、と読んでみた。
氏は、自身の体験から、「西洋医学」は救急治療のようなもの、「東洋医学」は根本的に体を治療するもの、というふうに結んでいる。
いずれも、本多氏らしい、自らの経験から出た言葉であるので、傾聴に値すると思う。…しかし、私は「孫の誕生を期するあまり、嫁に鍼灸治療をすすめて」いる本多氏の姿に、ちょっと情けないものを感じてしまったのだった。
「あの」本多氏が舅であるだけでも、ビビらざるを得ないというのに、「孫」を期待されて「ぜひ鍼灸を」などと言われ、「嫌です」などときっぱり言えるお嫁さんがいるだろうか。
しかも、「俺もやってみたけど、絶対効くから」と言われて、「…どうも私には合わないようです」などと途中でやめられるものだろうか。
これが、ご自分の子息に対してすすめた、というのであれば、別にいいのである。
相手は「嫁」である。…どうでしょう、あなただったら、舅「本多勝一」に対して、決然と「NO」を言えるでしょうか。
また、ちょっと笑ってしまうのが、「嫁」を気遣いながらも、「絶対これがいい」と信じて突っ走ってしまう本多氏の健気な姿である。…これじゃフツーのお舅さんだよなあ。そこに「本多勝一」はいない。
また、「鍼灸の神様」のごとき鍼灸師を登場させて(これは、何人かを融合させたもの、と後で断りがあるが)、あたかも神業のごとき施術の結果をもたらすような書き方は、感心しない。
麻原彰晃とて、最初はヨガの達人からスタートしたのではなかったか。
ともあれ、このお嫁さんが今後も舅「本多勝一」とうまくやっていけますように、と思いつつ本を閉じるのみ。
「合理的に「東洋」を評価!」 おすすめ度:
投稿日:2006-10-21
慢性病に手こずる西洋医学に対して、近年、日本でも東洋医学(ハリ・灸・指圧・漢方薬など)が見直されいている。本書は、著者自身の悲しい実体験(医療過誤による幼い妹さんの死、同じく医療過誤による自らの怪我の悪化など。いずれも西洋医学の医者が引き起こした。)をつづりながら、東洋医学の理論の基礎や手法をわかりやすく説き、その優れている点を説明している本である。とくに単なる「予防医学」とは意味の異なる東洋医学の「未病」という考え方について、図を掲げながらわかりやすく説いている点が参考になる。
明治の「文明開化」以降、自然科学(鉄道・機械・電気・医薬など)と社会科学(法律・経済など)において西洋の成果が津波のように押し寄せ、国策として東洋的なものがつぶされるか陰に押しやられてきた。たしかに西洋の近代合理主義の精神や文物・制度は学びとるべき優れたものだが(当然ながら著者もそれは否定しない)、西洋のものがすべて東洋のものより優れているというのは余りにも偏った見方だったのではないか。偏狭的な日本主義やオカルト的な精神世界に対してはもちろん警戒が必要だが、合理的な精神で判断したうえで優れているというものは、文学・仏像・美術品といった分野以外であっても、自然科学や社会科学といった分野であっても正当に評価すべきだろう。東洋起源ということに対する引け目や侮蔑といった「曇り」を払いのけて正当に評価すべきだと思う。
中国はもとより欧米でも、西洋医学の限界を感じ取り、漢方その他の伝統医学を医療制度としてしっかりと取り込んでいる。日本はこの点まだ明治「文明開化」のころとなんら変わっていないようだ。
本書の巻末には、アメリカの鍼灸大学へ留学した方の寄稿もあり、広い視点から日本の医療のあり方を考えることができる。
「プロ向けです」 おすすめ度:
投稿日:2006-05-16
オカルトとかそうではないとかで議論するのはこの本の趣旨とは全く関係ない。ナンセンス極まりない。
この本はプロ向けの本である。
最近話題の安保徹氏などの「免疫革命」などはこの本からかなりのヒントを得たと言っている。
医者達が密かに読んでいる本です。
この本のあとがきに専門医がコメントを載せているが、この部分こそ、最も読者、(医療を受ける側)が認識しなくてはならないことなのではないだろうか?
「病は「気」から」 おすすめ度:
投稿日:2006-02-07
本書はオカルトではないか、という意見もあるようですが、そんなことは全くない。
あなたは映画を見て泣いたことはないか? 元気に映画館にはいっていったのに、「気」が変わってしまって、体調が変化し、涙が流れるなら、東洋医学に接したことで、「気」が変わり、体調が変化し、病気が治るというのが、どうして信じられないか? ある意味フロイトがこれと同じことを主張していますが、それとも、フロイトもオカルトなのか?
こういう考え方は、いわゆる西洋的思考には余りない。でも、少なくともフーコーのいう「人間」の誕生する以前には一般的な考え方であり、それが特に東洋で発達した、ということではないか? 母親の精神状態が赤ん坊の体調に影響を与える。本当か? 母親と赤ん坊は言葉を使わずにコミュニケートできる。そもそも言葉を持たない動物はすべてそうしている。言葉を使わないコミュニケーションをテレパシーと呼びたいなら、私はテレパシーは存在する、と言いたい。東洋の知は時に神秘的と言われますが、そもそも知が神秘的なのではないか?
デカルトは、無は存在しないゆえに真空は存在しない(「哲学原理」2部16)と主張して、同時代のパスカルに笑われた。「アキレスと亀」は、論理学の本に必ず登場する有名なパラドックスですが、まさか本気で、アキレスは永久に亀に追いつけない、と信じている人はいないでしょう。真空は無ではない、とか、時間と空間にかかわる運動の時間軸を無視した結果だ、などと説明されますが、私たちは今もこのような不毛な論理?に振り回されている部分があるのかもしれない。
本書をオカルトとして読んでしまうような人にこそ、本多氏は問題を提起したいのでしょうが、でも、やっぱり、聞こえない人には聞こえないのかな? (テレパシーも言葉も、通じない人にはどうしても通じないらしい)